厨師紹介
料理長 瀧口浩史 プロフィール
点心厨師
瀧口 浩史
1973年生まれ 乙女座 O型
物心ついた時から、父の店を手伝ってました。
遊びたい盛りの6・3・3の学生時代・・・。門限は5時30分、理由は店の手伝い。
そして、小学校からの夢は「店の後を継ぐこと」と現実的な夢でした。
父や母と過ごす時間は仕事中だけ、見たいテレビも見れず、遊びたい遊びも出来ず、普通の日常を奪うお店、決して好きではありませんでした。両親は、「将来は好きなことをすればいい。」と言っていましたが、両親が望む本音は違うと思い込んでいました。
そして辻調理師専門学校を卒業。師である父の下、本格的に修業を始めた。
しかし、まだ料理は業務や生きる術で好きではありませんでした。しかし、それでは父を追い越せない!料理に対する熱望と葛藤が渦巻く月日を過ごしていました。
そんな時、香港に本店のある広東料理の最高峰「福臨門酒家」にて世界的に有名な厨師(ラ・ケイピン)氏が、大阪支店の点心料理長で来ていると聞きました。
世界をうならせたその人の下で働きたいと父親に話し。なぜか・・・二つ返事で了承され・・・。
香港NO.1と名高い店に、GパンにTシャツとトンでもない格好で、正面入り口から入り、冷ややかな目で見られながら総支配人に、いきなり「僕を雇ってください。」と息巻いて言ったのが人生の転機でした。
その時は、一年間でホールの全て、広東語の最低でも料理用語、それが出来れば厨房に入れたる。との言葉を実践し、見事厨房に入れてもらえた訳ですが。
仕事は並大抵のものではありませんでした。始発で仕事に行っても、もう料理長をはじめ先輩方は仕事を始めている。仕事の出来ない日本人の給料は些細なもの、大阪に住むことも出来ず。仕事は解らず見てるだけ。出来ることは、調理道具の後始末。一般会話は解らず、話も出来ない。
「知識、経験、感性」その持てる全てを研ぎ澄まし、料理に命を賭けなければ、才能の無い者は淘汰されていく、香港人の凄まじさに茫然自失になっていました。
年後、笑いが飛び交う厨房、その中に僕はいる。
年後、点心の全てを一任された。
して、その時、父の思いに気付きました。と同時に自分の中にある純粋な料理に対する思いがある事に気付きました。
そして今、偉大な師と
の監修協力と
の歳月を経て、点心坊が生まれました。
真の中国料理は食材の味を活かす絶妙なさじ加減、レシピのない料理、全て職人の感覚と経験によって伝承しているもの、職人の「勘」が本当の味を知っている、その料理を食した時に本当の中国料理の深さを知ってもらいたい。堅苦しくなく気軽に食していただける、アットホームな店作り。
二人の愛娘にかこまれる我が家にお客様を招待するかのように料理を提供したい、お客様には笑顔でおもてなしを、そして笑顔で食していただきたい。そんな「笑門来福」を信条にした店作りが父と僕の夢です。
そして、日本の高級食材を厳選して使うその料理、熱々、フワフワ、もっちり、さくさく、一面に漂ういい香り、どれをとっても紛れもなく、の目指す味そのものです。